「子育て」すなわち「自分育て」

子供とともに自分も育む、新米お父さんの成長記録です。

みんなで分けわけしよー

最近長男が「みんなで分けわけしよー」と言ってくれます。子供は欲望のままに生きていると言う印象がありますが、いわゆる「自己犠牲の精神」みたいなものがあるのであようか。

 

子供は親の鏡写し

当然ですが、親は自分の子供に対して犠牲になっても良いと考えます。物や時間を子供のために割くのは、その現れだと思います。そんな親の気持ちを知ってか知らずか、子供はよく見ています。「この前、お父さんが自分のイチゴをくれたから、今度は自分のをあげよう」とか言うことを自分なりに考えて、行動に移しているのだと思います。些細なことではありますが、そんな我が子の気持ちが嬉しくてなりません。

 

「あたえる」ことができる人に

 新約聖書の有名な一節に「与えよ、さらば与えられん」と言うものがあります。かなり有名なのでご存知のことと思います。見返りを期待するのではなく、相手に喜んでもらいたいと言う純粋な気持ちで何かを与える、まさに「愛の奉仕」ですね。実は、二人の子供の名前の漢字は2文字なのですが、いずれも1文字は「人を助ける」と言う意味のある漢字を使っています。将来、命名の理由を聞かれた際には、この辺りのことを熱く語りたい、そう思っています。

 

正直者はバカを見るのか

この手の話になると、正直者は損をするみたいなことを言われがちです。もちろんそれは一理あります。本当に困っている人なのか、はたまた詐欺師なのか、見抜くのは難しいのかもしれません。しかし心を磨いていく過程では、真実を見抜く眼力もついてくるはずです。精神世界のような話になってしまいましたが、要は物事の本質をしっかり見抜き、困っている人がいれば手を差し伸べらられるような人になってほしい、そう願ってなりません。