「子育て」すなわち「自分育て」

子供とともに自分も育む、新米お父さんの成長記録です。

子供って不思議とケガしない

今日はゴールデンウィークの家族旅行で、和歌山県アドベンチャーワールドに来ています。2歳の息子は大はしゃぎして勝手に走り回り、今日1日だけでも10回くらいこけました。

 

子供ってなんでケガしないんでしょうか

結構派手にこけて、おでこを地面に打ち付けて「ゴン!」と音がしているような状態でも、怪我らしいケガはしていません。普通に考えたら流血の事態になりそうな場面なのですが、何とも不思議です。単に体重が軽くて衝撃が小さいからなのか、転び方の天才なのか。何れにしても、親の心配なんてお構いなしで走り回るのは勘弁して欲しいものです。

 

転んだ時のリカバリーはどうすべきか

子供が転んで泣いている時に、手を差し伸べるべきか、何もすべきでないか、ここについては各家庭で色々な考え方があるように思います。

我が家は基本的には手を差し伸べることはなく、自分で起きあがるよう促しています。自分で起き上がる強さを持って欲しいという思いと、しょっちゅうこけるので、いちいち手を差し伸べていてはきりがないと言う両方の思いです。

 

転んだことの反省会

転んで泣いているのに酷かもしれませんが、我が家ではその場で反省会をすることがあります。「なぜ転んだのか」「誰が悪いのか」「転ばないためには転ばないどうするのか」これらの問いに、泣きながらも答えてくれます。ルーティーンのように繰り返すことで、少しでも学んでほしいとの思いですが、なかやか思い通りにはいかないのが子供ですよね。大人になってから転ぶと恥ずかしいので、子供のうちに怪我をしない程度にしっかりと転んでおいてほしいものです。

おふとん掛けよっと

子供がふとした瞬間に見せるやさしさに、癒されることありますよね。そんな時、自分が子供に対して注いでいる愛情が届いているような気がして、何だかとても満たされた気分になります。

 

子供ってタフですよね

休日は近くの公園で遊ぶことが多いです。そこには大小さまざまな滑り台、鉄棒、砂場、アスレチックのような遊具から、暑い時期には重宝する水遊び場までありとあらゆるものがあります。当然子供は大はしゃぎし、隅からすみまで駆け回り、挙句の果てには水遊びでびしょ濡れになります。

親はというと、炎天下の中元気いっぱいの子供についていくのがやっと。日差しにあたってるせいか、その疲労感たるや半端ではありません。本当に子供はタフだと思います。

 

子供のやさしさ

くたくたになり家に帰ってきても、相も変わらず子供は元気いっぱいです。親はというと・・・疲れ果ててダウンです。本気で寝るつもりはなかったのですが「お父さん、ちょっと横になってお休みするね」とソファーに横たわると、すぐに寝落ちしてしまったようです。まもなく何か気配を感じると、2歳の長男が毛布を持ってきて掛けてくれようとしていました。「風邪ひいちゃうからね、暖かくしとかないと」とひとりでつぶやきながら、上手に毛布を掛けてくれました。いやぁ、そのやさしい気持ちに泣きそうになりました。

 

よく見てるんですよね 

 「かぜをひいちゃうからね」とふとんを掛けるとか、普段は親が子供にしていることですが、その様子をよく見ているんですね。そしてことあるごとに真似をして実践する。子供ってものまねの天才ですし、まねされる親は下手なことはできません。常に子供に観察されているんだという一種の緊張感も必要なのかもしれませんね。

みんなで分けわけしよー

最近長男が「みんなで分けわけしよー」と言ってくれます。子供は欲望のままに生きていると言う印象がありますが、いわゆる「自己犠牲の精神」みたいなものがあるのであようか。

 

子供は親の鏡写し

当然ですが、親は自分の子供に対して犠牲になっても良いと考えます。物や時間を子供のために割くのは、その現れだと思います。そんな親の気持ちを知ってか知らずか、子供はよく見ています。「この前、お父さんが自分のイチゴをくれたから、今度は自分のをあげよう」とか言うことを自分なりに考えて、行動に移しているのだと思います。些細なことではありますが、そんな我が子の気持ちが嬉しくてなりません。

 

「あたえる」ことができる人に

 新約聖書の有名な一節に「与えよ、さらば与えられん」と言うものがあります。かなり有名なのでご存知のことと思います。見返りを期待するのではなく、相手に喜んでもらいたいと言う純粋な気持ちで何かを与える、まさに「愛の奉仕」ですね。実は、二人の子供の名前の漢字は2文字なのですが、いずれも1文字は「人を助ける」と言う意味のある漢字を使っています。将来、命名の理由を聞かれた際には、この辺りのことを熱く語りたい、そう思っています。

 

正直者はバカを見るのか

この手の話になると、正直者は損をするみたいなことを言われがちです。もちろんそれは一理あります。本当に困っている人なのか、はたまた詐欺師なのか、見抜くのは難しいのかもしれません。しかし心を磨いていく過程では、真実を見抜く眼力もついてくるはずです。精神世界のような話になってしまいましたが、要は物事の本質をしっかり見抜き、困っている人がいれば手を差し伸べらられるような人になってほしい、そう願ってなりません。

youtubeとの付き合い方

子供はテレビが好きですよね。我が家ではコアタイムとして、お母さんがお風呂に入っている30分間をテレビの時間として設定しています。

 

賛否両論あるようですが

最近のテレビのレパートリーは、アンパンマン機関車トーマスちびまる子ちゃんYouTube です。コアタイムにはiPadYouTube を見ています。自分で見たいものを画面をスクロールして選び、広告が出るとスキップしながら見ています。その時の集中力は目を見張るものがあります。

YouTube を見せて子育てすることに関して、ネット上で賛否両論あると聞きました。我が家の見解としては、少なからず子供の成長にプラスに作用していると考えています。

 

疑問を持つチカラ、質問するチカラ

長男がYouTube を見ていると、矢継ぎ早に質問をしてきます。目の前に繰り広げられる雑多な映像に対して、様々な疑問が湧いてくるようです。その質問は日にひに進化しているように思えるのです。疑問を持ち質問するチカラがどんどんと育まれているとすれば、素晴らしいと思います。

 

子育ての常識、非常識も日々変化している

 昔は子育てを一家総出や、場合によっては地域ぐるみで行っており、人手が多くありました。しかし今は核家族化が進み、昔より子育てが大変になっています。一人で家事をしなければならない場合などにはYouTube を見せるなどし、子供の注意を親から外らせることが有効だと思います。子育てもメリハリをつけて、愛情を注ぐ時には徹底的に注げば良いのではないでしょうか。それが今の時代に合った子育てなのだと信じています。

「ぼくがするー!」と「◯◯してー」

長男が2歳になり、はっきりと自我が芽生えてきました。何でも自分でやりたがります。時を同じくして長女が誕生し、赤ちゃん返りも見られるようになりました。「やりたい」と「してほしい」が代わる代わるに繰り出され、我が家は大混乱です。

 

こころのバランス

最近の長男の様子は、アンパンマンに登場する「ロールパンナ」ちゃんみたいです。赤いハートの時と青いハートの時とでは、180度違うことがよくあります。

基本的には何でも自分でやりたい気持ちが優勢なんだと思います。横から手を出されると怒りますし、大人がやっていることはすぐに真似をしたがります。

しかし、妹が親を独占しているように感じると、今度は気を引こうとして全部やって欲しいと言ってきます。この不安定な心のバランスの中で行ったり来たりしているのが、最近の長男の状況です。

 

どう接するのがよいのか

急に言っていることが変わったりするので、親としても戸惑うことが多くあります。時にはイラっとして怒ってしまうことも少なくありません。こんな時どう接すればよいのか、正解はないかと思いますが、我が家ではできる限りはわがままを聞くようにしています。

自分がやりたい気持ちは成長の証ですし、危険が伴うよなものではない限り、どんどんやらせてやるべきと思います。

一方やって欲しい気持ちは赤ちゃん返りの証ですし、親は分け隔てなく愛情を注いでいることを理解させるべく、可能な限りやってあげるべきと思います。

親の負担はかなり増えてしまいますが、ここが踏ん張りどころと見て日々奮闘しています。日にち薬で落ち着いてくることでしょう。

「ミュータンス」との闘い

子供は歯磨きなかなかさせてくれないですよね。我が家では寝る前の歯磨きは湯船の中でするのですが、磨き終えるまでにいつも一苦労です。

 

むしばいきん、ミュータンスの登場

子供に歯磨きをさせるために、歯磨きをしないとこんなに恐ろしいことが起こると、具体的に伝えています。

「美味しいものを食べた後のお口の中には『むしばいきん、ミュータンス』がたくさんいて、お口の中でイタズラをいっぱいして、歯をボロボロにしちゃう。そうなったら、美味しいものがな〜んにも食べられなくなっちゃうよ。」

そうすると、子供なりに「歯磨きをする面倒さ」と「美味しいものが食べられなくなる悲しさ」とを比べて、「歯磨きをする方が賢そう」と言う結論に至るようです。もう、ミュータンス様さまです。

 

自ら進んで歯磨きするようになるには

今はまだ完全に親が主導で無理やり歯磨きをしていますが、いつかは何も言わなくっても自分で歯磨きをして欲しいですよね。どうしたら良いものかを考えていますが、やっぱり「生活のリズム」の中に歯磨きが組み込まれないとダメだと思っています。朝起きてから夜寝るまでの間、トイレに行ったりご飯を食べたりお風呂に入ったり、いつもの当たり前にいかに歯磨きを組み込むか模索中です。

おやつとかテレビは何も言わなくても自分から要求してきますが、歯磨きも何とかそれと同じレベルに出来れば何の苦労もないのですが…。歯磨きの動機に「歯磨きをしないデメリット」を使うのではなく「歯磨きをするメリット」を使えるようになればしめたものです。綺麗な歯をしていれば、好きな◯◯ちゃんに好きになってくれるとか。まだ2歳児には早すぎますかね。

 

「見守ること」の大切さ

きな子〜見習い警察犬の物語〜

本日朝のニュースで目にしたのですが、香川県警の元嘱託警察犬で映画「きな子〜見習い警察犬の物語〜」のモデルになった警察犬の「きな子」が老衰のため死んだそうです。

警察犬試験に6年連続で落ちながらも、そのひたむきに努力する姿が人々の共感を呼んだとのこと。きな子を担当した調教師は、当初きな子が失敗をするたびに強い口調で𠮟っていましたが、ある時から失敗しても優しい口調で応援し続けるようになったそうです。それは「『見守ること』の大切さ」に気づいたからだそうです。

 

「見守ること」から生まれるもの

私にも心あたりがありますが、子供が何かしようといている時に親の意見を押し付けて都合よく制御しようとしたことはないでしょうか。心あたりは1度や2度ではないはずです。

子供を信じ、見守ってやることから生まれる「信頼関係」こそがほんものの「親子の絆」だと思います。「自由」が与えられているということは、表裏一体で「責任」と「信頼」も同時に与えられているという事実を、時が来れば子供も理解すると思います。その時に改めて親の愛情を身に染みて感じるのではないでしょうか。子供は親の操り人形ではなく、一人の独立した人間であるということを親もよく理解し、その人格をより良く形成する手助けすることこそが、親の重要な役割だと思います。

 

「信頼」されて育った子供は

子供が育った家庭環境は、将来子供が家庭を持つことになった際にも伝搬するようです。良くない例ですが、貧困やDVの連鎖などがよく取り上げられています。同じように、親から「信頼」されて育てられた子供は、自然と誰かを信頼し、そして信頼されることになるでしょう。もちろん、信頼に値するか否かを見極める力は必要になりますが「人を信頼してもいいんだ」と身をもって体感し、信頼関係を基礎とした人間関係を築ける人間に育てたい、そのことを「きな子」をきっかけに再認識しました。